テレビが
2011-03-19


昨年の九月の終わりにテレビが壊れた。
それ以来我が家にはテレビが映らない。
子供が「うちにはテレビがない」というと
「テレビがないのではない。映らないだけだ」
とわたしが訂正する。
半年もテレビの映らない生活をしていると
それが当たり前になってしまう。

我が家では今回の大震災の情報を
新聞とラジオとインターネットで得ている。
大きく揺れたが我が家では地震の被害がほとんどなかった。
なにか被災した人たちに申し訳ないような気がする。
仕事上で、頼んでいた備品・材料が入らない、
作った製品がいつ出荷になるかが決まらない。
本州の取引先の被害の状況が徐々に明らかになってくるのにつれて
なんともいえない気になってくる。

わたしの祖父の出身地は宮城県桃生郡矢本町というところだ。
被災した地名にはなかった。
祖父のいたころは鷹来村大曲と言ったらしい。
20数年前に一人で訪れたとき、そのあたりの家は自分と同じ苗字ばかりだった。探し当てた家は古い大きな平屋で建ってから百年とか二百年経つと父から聞いていた。だがわたしが行った20数年前には、その家に住む人が誰もいなかったので父の叔母から聞いた寺に行き、お参りをしたことを思い出す。
今も仙台と石巻に父の従兄弟が住んでいる。
何人かとは連絡が取れたが何人かとは連絡が取れないそうだ。
矢本町は2005年に鳴瀬町と合併して東松島市になっていたことは
昨日までまったく知らなかった。
ネットで見た矢本は穏やかな風景が一変してしまっている。

わたしは映らないテレビを呆然と眺めている。
[弱きもの(あるいは偽善者)]
[日々雑記]

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